おまけの人生

平成7年4月。
気が付いたら病院のベッドで寝ていました。

当時、愛知県春日井市に住んでいた僕は、岐阜県高山市に住んでいた子と付き合っていました。
自衛官として勤務していた僕は定時の17:00過ぎに勤務が終わると軽く仮眠して彼女のもとへ車を飛ばすっていう日々を過ごしていました。
夜、彼女に会って車でプラプラしたり話したり、楽しい時間を過ごして朝になったらバイバイしてまた春日井に戻り仕事をする、そんな生活でした。

正直きつかったです。1~2時間の仮眠で遊びに行って夜通し遊んで帰ってくる。たまに向こう(高山)で仮眠することはあっても、あくまで仮眠。自衛官っていう職業がら遅刻や欠勤などありえない世界だったので熟睡できるわけでもなく。。

でも、楽しかったなぁ。
今考えれば、若いからできたって感じだけど、車で国道41号をかっとばし、好きな彼女に会いに行く。
で、別れを時間ぎりぎりまで惜しんで、また車を飛ばして戻る。
今だから言えるけど、かなり飛ばしてました。
だって春日井市から高山市まで、ちょうど150㎞を最速1時間25分で帰ってきてたので。
単純に考えて時速100キロペース。。
ありえないというか、あってはいけないペースで飛ばしてました。
早朝の41号線はトラックが多かったので連なったトラックを、対向車が来ないのを信じて7台一気抜き…。
この道を知ってる人だったら分かると思うけど、見通しのきく緩いカーブが多かったりもするのでそんなのができてしまう道だったんですよね。

平成7年4月某日。
その日も、いつものように彼女と夜通し遊んでいつものようにバイバイして帰路につきました。
そして、いつも通りならその約2~3時間後には自衛隊のいつもの仕事場で作業をしていたはずなのに、その日は違っていました。

夢なのか現実なのかわからない中、自分の叫び声で目が覚めました。
「痛い!うわぁー!!痛てぇー!!あーっ!!!」
救命センター処置室のベッドの上で、自分の口からはそんな言葉が吐き出され、なぜ自分がそんなことを叫んでるのかも理解できないまま、痛みに耐えていて、その時の先生に「うるさいから麻酔打っとけ」みたいな声が聞こえたと思ったら、次の瞬間には意識がなくなっていました。

次に目が覚めたときにはICUのベッドの上でした。
その時僕の頭によぎったのは、「自爆したのか…。」「相手いたとしたらどうなってるんだろ」
そんな言葉達でした。

職場の人たちや友達からも「いつか事故るぞ!」って言われてたのに忠告を聞かずに高山まできて、言われた通り事故って…。
現実がつかめないまま後悔や申し訳なさやマイナスな考えしか浮かばない状況でした。

記憶が飛んでるんですよね。
彼女とバイバイしたのは覚えてて、その後どうしてこうなったのか、今が一体いつなのか、もしくは夢なのか。

ICUでお世話になった数日のうちに、今回の状況を当時の彼女や、わざわざ神奈川から駆けつけてくれた親、自衛隊の上司、病院の先生、警察の方々から聞くことができ、少しずつ把握していくことができました。

どうやら、彼女とバイバイした数分後に、僕は事故を起こしたらしい。
その事故は自爆ではなく、相手があった事故。
その相手が100%悪い、もらい事故だった。
僕が乗っていた車のエンジンルームから助手席側にかけてつぶれて原型をとどめていなかった。
なので、もし助手席に人が乗っていたら間違いなく即死だったと。
相手は4トンのトラックで、その運転手は無傷だった。
そのトラックは、国道41号の峠道で、前を走っていた乗用車を追い抜こうと対向車線を走って、そのまま追い越しきれないままコーナーに差し掛かり、前から僕の運転する車が来てしまい、正面衝突。
その事故現場付近からすると、お互いにかなりのスピードが出ていたと思われます。
いきなり正面に現れた車に対して、お互いが右にハンドルを切り、助手席側どうしがぶつかった形になり、運転席の僕は運よく潰れずに済んだ…。

そんなことが少しづつ話の中でわかってきたんだけど、まだ信じれなかったです。
僕のことを気遣って、僕が被害者だって口裏を合わせているだけなんじゃないかって。
自分が事故るなんて考えてもいなかったからガンガンにスピード出していつも走っていた道だったから、いつ自分が加害者になってもおかしくない状況だったし。

だけど、もちろん伝えられたことはすべて真実で、僕は被害者。
そのことが、ホントにほっとした。
良かったって、心から思った。
自爆ならまだいいけど、もしこれで誰かをはねていたら…。
逆の立場で誰かの車に突っ込んでいたら。。

でも本当に、もしこの時ぶつけられなかったとしたら、きっと自爆していただろうなって思います。
無茶しすぎてました。
寝ないで遊んで、ありえない追い越しやスピードで運任せの運転して、今まで無事だったのがキセキだったんだって思いました。

事故から数日後、僕はICUを出て一般病棟に移りました。
その時の僕の身体の状況は、両足首骨折、左大腿骨骨折、左手中手骨脱臼骨折、肋骨骨折、前歯欠損、外傷多数。。
ざっくりと書くとこんな感じです。
もちろんベッドに寝たきりで、左手と両足を固定されて、動かせるのは顔と右手だけ。
特にひどかったのが右足首で、もしかしたら落とさないとダメかもしれないと言われてたんだけど、とりあえず様子を見ることに。

その日から、身体にピンやプレートなどで骨を固定する手術、そのプレートなどを抜く手術などトータルで何回手術したのかも覚えてないくらい、身体を刻んでいました。
確か最終的には全身で150針くらい縫ったと思います。

身体に関しては、骨折部位以外は意外と元気でした。
精神的に落ち込んだのも最初のICUの時くらいで、もともと前向きな性格もあって、寝たきり生活などもあまり苦には感じなかったんですね。
逆に快適だったくらいで。
確かに体は自由に動かすこともできないし、トイレにも行けない状況だったから、大変な面も多かったけど、ご飯は上げ膳据え膳、お見舞いでもらった雑誌を読んだり、来てくれた友達と話をしたり、疲れたら好きな時に寝て。

なんというか、その状態が普通になってしまうんですね。
寝たきりの状態が。
なので、他の人たちが普通に歩いてるのを見ると、「なんでみんな普通に歩いてるの?」っていう風に思えてしまうんですよね。
寝たきりが普通で、歩けるのが特殊って。

だから悲観的になる事があまりなかったです。

ただ、一回だけすごくつらいときがあって、何度目かの足首の手術の時、腰椎麻酔で行う事になって麻酔を打ったのはいいんだけど、効かなかったんですよね。
なので、局部麻酔を何本も打ってオペを始めたんだけど、どうにも痛すぎてガマンできない状況になり急遽、軽い全身麻酔?でオペを進めることになったんです。
完全に落ちない程度のかけ方で、お酒で言うとかなり酔っぱらってるけど何とか意識があるくらいな感じで。
でも、それってやっぱり痛みはあるし何よりも気持ち悪くて、ずっと苦しい状態で頭を左右に振りまくっていました。

それでも何とか無事に終わり、その翌日。
ご飯の時間になりベッドの背を少し起こしてもらい、食事をしていたのですが体勢を起こされたら気持ち悪くてほとんど食べることができず、ベッドを戻してもらおうとナースコールを探したけどベッドの枠に結んだままで手が届かない状態でした。

もう、気持ち悪くて、ひどい頭痛で声も出ず、ただベッドの上でぐったりすることしかできず、同室の患者さんが僕の状況に気付いて看護婦さんを呼んでくれて、ベッドを戻してもらった時には、安堵から自然と泣いていました。。

その日以来、頭痛持ちになってしまいました。

話が飛びますが、その時くらいかな。辛すぎたり情けなく感じてしまったりしたのは。

寝たきりの状況が2か月くらい続き、その後車イスが約3か月、その後松葉づえを半年くらいだったかな。
その時々の僕の状況が普通なんですね。
なので、寝たきりから車イスになった時、自分が進化したみたいで楽しかったです。
自由に自分で動くことができる!俺ってすごい!!って。
で、車イスの時はその状況が普通なので歩いている人を見ると、やっぱり「なんでみんな歩いてるんだろ?」っていう感じだったし、車イスの方が楽なのに、変なのとも思っていました。
その後の松葉づえの時も一緒で、徐々に進化していく過程を楽しんでいました。

途中で病院を2回ほど転院しながらトータルで10ヵ月ほどの入院生活でした。

そうそう、その後の身体の状況ですが、当初、落とさなければならないかもと言われていた右足首。
なんとか骨も神経も無事につながってくれて今でも元気に動いてくれています。
ただ、左足首もそうなんですが上に曲げる可動域が狭いので、かかとを地面に着けたまましゃがめないんですね。
なので、和式トイレとかは結構不便でしたけど、今はほとんどそんなトイレもないのであまり気にはしてなかったんですけど、タイのトイレもしゃがむスタイルなのでその時は少し大変かな。
あとは、ITMレベル1のNo.39カエルとスキーはバランスとれなくて辛いです。
左手の中指の脱臼骨折は、骨自体はしっかりついてくれたんだけど、手術の際の皮膚の癒着があり、今でも皮膚がひきつれて完全には握りこめない感じです。日常生活では何も不自由はないので気にはしていなかったのですが、ウクレレを弾いてみようとしたときに1弦が押さえずらいっていうのはあります。
左大腿骨。この骨折が一番時間かかりました。
当初、お尻から大腿骨に長いチタンの棒をいれて骨折部位に1㎝のすき間が空いている状態で固定して骨が伸びてすき間が埋るのを待っていたのですが、全然伸びてこなかったんですね。
その部位は骨折箇所が外に飛び出ていたのでバイキンが付着してしまったようで骨がうまく作られなかったみたいなんです。
なので、すき間が空いたまま1年近く過ごしていたのですが、そのまま過ごしてももう伸びてくる可能性がないとの病院の判断で、腰骨を少し削ってすき間に埋め込む骨移植手術をすることになりました。
すき間に埋め込むといってもピッタリそこに埋めるわけではなくて、骨折した骨に触れるようにその骨を置いておくと、その骨を取り囲むように骨が作られていくらしいんです。
その手術の結果、無事に骨が作られて、今ではプレートも外して自分の骨だけで元通りに動くことができています。ただやっぱりここも癒着がひどいので、皮膚や筋のツッパリはかなりあります。
あとは、前歯が差し歯になったくらいかな。

そんなこんなで、元通りとは言わないけど、元と同じように普通の生活が送れるようになりました。
医学のすごさと、人の生命力の強さを身を持って経験することができました。

それとは逆に命のもろさも感じました。
僕は運がよかったんだと。
ホントだったら死んでてもおかしくなかったんだと。

寝たきりのベッドの上でこんなことを考えていました。

”きっと、死神がよそ見をしてて連れて行くのを忘れちゃったんだろうな。。
ホントはこの事故で死んでいたのかもしれない。
だから今生きているのは、おまけの人生。
せっかくもらったおまけの時間なんだから、思いっきり楽しもう”

今、そこで終わっていたはずの人生と同じくらいの時間、おまけの人生を過ごしています。
あと数年で、おまけの人生の方が多くなります。

あの時よそ見をしてくれた死神に感謝しつつ、これからの人生もたっぷり楽しませてもらおうと思います。

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